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最高裁判所大法廷 昭和38年(オ)361号 判決 1964年2月26日

判   決

愛知県幡豆郡吉良町大字饗庭字下佃四六番地

上告人

加藤与市

被上告人

右代表者法務大臣

賀屋興宣

右当事者間の義務教育費負担請求事件について、東京高等裁判所が昭和三七年一二月一九日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告申立があつた。よつて、当裁判所は、次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告人の上告理由について。

憲法二六条は、すべての国民に対して教育を受ける機会均等の権利を保障すると共に子女の保護者に対し子女をして最少限度の普通教育を受けきせる義務教育の制度と義務教育の無償制度を定めている。しかし、普通教育の義務制ということが、必然的にそのための子女就学に要する一切の費用を無償としなければならないものと速断することは許されない。けだし、憲法がかように保護者に子女を就学せしむべき義務を課しているのは、単に普通教育が民主国家の存立、繁栄のため必要であるという国家的要請だけによるものではなくして、それがまた子女の人格の完成に必要欠くべからざるものであるということから、親の本来有している子女を教育すべき責務を完うせしめんとする趣旨に出たものでもあるから、義務教育に要する一切の費用は、当然に国がこれを負担しなければならないものとはいえないからである。

憲法二六条二項後段の「義務教育は、これを無償とする。」という意義は、国が義務教育を提供するにつき有償としないこと、換言すれば、子女の保護者に対しその子女に普通教育を受けさせるにつき、その対価を徴収しないことを定めたものであり、教育提供に対する対価とは授業料を意味するものと認められるから、同条項の無償とは授業料不徴収の意味と解するのが相当である。そして、かく解することは、従来一般に国または公共団体の設置にかかる学校における義務教育には月謝を無料として来た沿革にも合致するものである。また、教育基本法四条二項および学校教育法六条但書において、義務教育については授業料はこれを徴収しない旨規定している所以も、右の憲法の趣旨を確認したものであると解することができる。それ故、憲法の義務教育は無償とするとの規定は、授業料のほかに、教科書、学用品その他教育に必要な一切の費用まで無償としなければならないことを定めたものと解することはできない。

もとより、憲法はすべての国民に対しその保護する子女をして普通教育を受けさせることを義務として強制しているのであるから、国が保護者の教科書等の費用の負担についても、これをできるだけ軽減するよう配慮、努力することは望ましいところであるが、それは、国の財政等の事情を考慮して立法政策の問題として解決すべき事柄であつて、憲法の前記法条の規定するところではないというべきである。

叙上と同趣旨に出でた原判決の判断は相当であり、論旨は、独自の見解というべく、採るを得ない。

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見により、主文のとおり判決する。

最高裁判所大法廷

裁判長裁判官 横 田 喜三郎

裁判官 入 江 俊 郎

裁判官 奥 野 健 一

裁判官 石 坂 修 一

裁判官 山 田 作之助

裁判官 五鬼上 堅 磐

裁判官 横 田 正 俊

裁判官 斎 藤 朔 郎

裁判官 草 鹿 浅之介

裁判官 長 部 謹 吾

裁判官 城 戸 芳 彦

裁判官 石 田 和 外

裁判官 柏 原 語 六

上告人の上告理由

第一点 原判決は上告人の条理違反等の主張に対し違法がある。

一、上告人は第二審請求の事実の通りであります処が第二審は日本国憲法第弐拾六条第二項後段の「義務教育は、これを無償とする」と規定しているのは授業料を徴収しないことだけで、その他の費用は立法をまつべきで公共の財政負担能力に応じ万全の施策が講ぜられるべきは勿論であるけれども、それは財政等の事情を考慮して立法等により具体的に定められるべきだと、ありますが、日本国憲法第弐拾六条第二項はその前段に「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ」とあります、すべてこの社会に於て権利と義務が表裏一体で有る如く又義務と無償も表裏一体でなければなりません。此の場合被上告人(国)が、児童、生徒の保護者に九ケ年間の普通教育を受けさせる事を強制するので有るからそれに必要な経費は被上告人(国)が負担するのは当然でありますから後段の「義務教育はこれを無償とする」とある立法の趣旨は児童、生徒が義務教育に就学した事によつて必要な経費すべてを無償とする。被上告人(国)が負担をするという立法の趣旨で有ると上告人は解釈致します。

第二点 原判決は理由齟齬の違法が有る。

一、「日本国憲法第九拾八条この憲法は国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」とあり又「第九拾九条天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」とあります。

憲法第九拾八条に明規して有る如く現存する法律、命令其の他が憲法条規に反する場合はその効力を失うと同時に不作為とも云うべき立法府(国会)で憲法の条規に基き立法しなければならないのに、それをしない場合、憲法施行以来何十年過つても立法しない場合最高裁判所は立法すべきであると思います。

それでは三権分立どころか立法府(国会)行政府(内閣)よりも司法府(最高裁及び下級裁)司法権が優位どころか、高く強くなりすぎるとも思はれるが、しかし司法権が高いのではなく、日本国憲法そのものが高いので有ります。

立法府(国会)にて過半数にて議決成立する法律と違い、この憲法(最高法規)の改正には「国会が各議院の総議員の三分の二以上の絶対数でこれを発議し国民投票により過半数の賛成を必要とする」のもここに有るのであります。

日本国憲法を守(判断する)る最後の「とりで」である最高裁判所が日本国憲法第弐拾六条第二項後段の「義務教育はこれを無償とする」とあるのは、義務教育に必要なすべての費用を無償とすると云う立法の趣旨で有ると判決せられる事を堅く信じ上告するに及びました。以上

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